第36週
ノンフィクション・人生論
ぼけますから、よろしくお願いします。
新潮社(新潮文庫)
この一冊で何が変わるか
親の老いや介護という、目をそらしがちな現実への構えが変わる。それを悲劇としてだけでなく、支え合いの時間として受け止められるようになり、離れて暮らす家族に連絡を取りたくなる。
誰でも年とりゃあ、おかしゅうなるわいのう。
「今年はぼけますから、よろしくお願いします」。広島県呉市。87歳の母が、正月にそう宣言した。冗談のようなその言葉は、やがて本当になる。母は認知症になり、少しずつ、娘の知っている母ではなくなっていく。
著者の信友直子さんは、東京で働く映像作家だ。故郷で暮らす両親を、カメラを回しながら見つめ続けた。「私はばかになったんじゃわ」「迷惑になるけん、もう死にたい」。そう繰り返す母を支えたのは、96歳の父だった。耳は遠く、初めて台所に立つ不器用な手つきで、それでも妻に寄り添う。「誰でも年をとればおかしくなる」と、笑いながら。
読んでいて驚くのは、これがちっとも湿っぽくないことだ。呉の言葉のあたたかさ、老夫婦のとぼけたやり取り、娘のまなざしの優しさ。老いと介護という重い現実を描いているのに、ページのあちこちで、思わず笑ってしまう。そして気づけば、泣いている。
これは特別な家族の話ではない。年老いていく親を持つ、すべての人の話だ。いつか自分にも訪れる時間を、少しだけ先に見せてくれる。怖がらなくていい、と静かに教えてくれる。老いることも、支え合うことも、こんなにも人間らしく、あたたかい。
週に一冊。それだけでいい。今週は、家族の時間をそっと見つめる一冊を。